もちもちパンダ/

介護家族の悲鳴 その9

  今回のコラムは、肉親介護の精神的負担について。あくまでも個人的感覚として。

 

  この3連休は、もちろん3歳の息子連れで実家に帰り、両親の様子を見てきた。

 

  冬は、パーキンソン病の父にとって非常に酷な時期だ。特に私の実家は降雪量の多い地域のため、家の中ですら息は白く、震え上がるように寒い日が多い。父にとって冬の空気の冷たさは、固くなった関節をさらに固まらせ、嚥下もしづらくなるようだ。父は、何度もむせながら、3時間かけて食事をとることもめずらしくない。それもお腹が空いているから食べるわけではなく、体力を保つために必死で食べているのだ。美味しいから食べるのではなく、生きるために食べる。その様子は、切ない。

 

  私は、年老いた家族を見ることがこんなにもつらいとは知らなかった。隔週で帰っているとはいえ、実は毎回目を背けたいほど、つらいのだ。

 

 父にとって、田畑は生きがいだ。あんなにも元気で、畑で鍬を振り下ろし、トラクターを運転していた父が、近年「身体が痛い」と言って田畑の範囲を狭め、「今年はもうやめようか」と言っているのを聞くと、心臓が引き絞られるような思いがする。

 

 母にとっては、家族の世話が生きがいだった。いつも私を心配し、30歳も越えた娘に「ご飯は食べたか」と電話をしてきて、既に調理した食事を宅配便で送ってきた。送料を考えたら近所のスーパーで総菜を買う方がよほど安いのだが、私は丁寧にタッパーに詰められ、ラップでくるまれた母の料理を見ただけで、胸がいっぱいになったのを覚えている。そんな母はアルツハイマー認知症となり、もう火を扱えない。料理はおろか、家事はできない。

 

 「できない」ことが増えていく両親。そして「できない」ことに対して諦めていく両親を見ていると、胃が引き攣れるように重苦しくなる。そんな両親を、見たくない。元気でいた頃の、笑っていた頃の、両親でいてほしい。

 

 そう思えば思うほど、私は「両親をしっかり介護しなければ」という思いと「見たくない、目を背けていたい」という思いの狭間で揺れることになる。だから、実家にいる時は、ほぼいつも胸が苦しい。気付くと、涙が出てしまうので、それを悟られないように淡々と作業するので精一杯だ。しかし、その作業をする気力すら悲しみのあまり、湧かなくなってしまうことがある。

 

  そんな時、私が何をするかというと、スマホゲームだ。軽蔑されてもいい。私は両親の前でスマホゲームをやっている。本当は家の片づけや物の整理や、やることは山ほどあるのに、私は「両親の老い」という現実から逃げたいあまりにゲームをするのだ。そんな私を見ても、両親は何も言わない。私は灯油の備蓄や、寒冷対策といった両親の命に関わることだけは、気力を振り絞ってやるが、その後は気が抜けたようにゲームに逃げ込んでしまう。

 

  情けない、とまた涙が出てくる。両親のためにできることはたくさんあるはずのなのに、なぜ私はゲームなんてやってるのか、と自分を責めてしまう。でもそうやって紛らわさなければ耐えられないほど、両親の姿にまともに向き合い続けるのは、私の心身にとっては苦痛なのだ。

 

  有料老人ホームで働いていた頃は、そんなこと思ったこともなかった。もちろん、親しくなった入居者に親しみが湧いたり、状態が悪化していくことをつらく感じたりはした。しかし、肉親であるか否かでは、苦しさの種類がまるで違う。医療や介護は、他人を見ている方が楽だ。間違いない。

 

  在宅医療や介護は、常にこの苦しさを抱えながら続けねばならないのかと思うと、吐き気がしてくる。少なくとも、私の精神では弱っていく両親を見続けるという状況に耐えられそうにない。

 

  そして恐らく、両親を看取った後、こんな風に逡巡していた私を思い出し、「もっとたくさん両親にできることをやってあげればよかった」と後悔するに決まっている。それでも今の私は苦し過ぎて、今以上のことができない。最低限のことをやるだけで、精いっぱいだ。「親の老い」によってこんなに心が苦しくなるなんて、そのせいで体が動かなくなるなんて、知らなかった。在宅介護がこんなに介護者の心を揺さぶるなんて、お国の人たちはご存じだろうか。支える人を支える仕組みは、物理面だけでなく精神面でも絶対に必要だ。(ぱんだ)