もちもちパンダ/

介護家族の悲鳴 その9

  今回のコラムは、肉親介護の精神的負担について。あくまでも個人的感覚として。

 

  この3連休は、もちろん3歳の息子連れで実家に帰り、両親の様子を見てきた。

 

  冬は、パーキンソン病の父にとって非常に酷な時期だ。特に私の実家は降雪量の多い地域のため、家の中ですら息は白く、震え上がるように寒い日が多い。父にとって冬の空気の冷たさは、固くなった関節をさらに固まらせ、嚥下もしづらくなるようだ。父は、何度もむせながら、3時間かけて食事をとることもめずらしくない。それもお腹が空いているから食べるわけではなく、体力を保つために必死で食べているのだ。美味しいから食べるのではなく、生きるために食べる。その様子は、切ない。

 

  私は、年老いた家族を見ることがこんなにもつらいとは知らなかった。隔週で帰っているとはいえ、実は毎回目を背けたいほど、つらいのだ。

 

 父にとって、田畑は生きがいだ。あんなにも元気で、畑で鍬を振り下ろし、トラクターを運転していた父が、近年「身体が痛い」と言って田畑の範囲を狭め、「今年はもうやめようか」と言っているのを聞くと、心臓が引き絞られるような思いがする。

 

 母にとっては、家族の世話が生きがいだった。いつも私を心配し、30歳も越えた娘に「ご飯は食べたか」と電話をしてきて、既に調理した食事を宅配便で送ってきた。送料を考えたら近所のスーパーで総菜を買う方がよほど安いのだが、私は丁寧にタッパーに詰められ、ラップでくるまれた母の料理を見ただけで、胸がいっぱいになったのを覚えている。そんな母はアルツハイマー認知症となり、もう火を扱えない。料理はおろか、家事はできない。

 

 「できない」ことが増えていく両親。そして「できない」ことに対して諦めていく両親を見ていると、胃が引き攣れるように重苦しくなる。そんな両親を、見たくない。元気でいた頃の、笑っていた頃の、両親でいてほしい。

 

 そう思えば思うほど、私は「両親をしっかり介護しなければ」という思いと「見たくない、目を背けていたい」という思いの狭間で揺れることになる。だから、実家にいる時は、ほぼいつも胸が苦しい。気付くと、涙が出てしまうので、それを悟られないように淡々と作業するので精一杯だ。しかし、その作業をする気力すら悲しみのあまり、湧かなくなってしまうことがある。

 

  そんな時、私が何をするかというと、スマホゲームだ。軽蔑されてもいい。私は両親の前でスマホゲームをやっている。本当は家の片づけや物の整理や、やることは山ほどあるのに、私は「両親の老い」という現実から逃げたいあまりにゲームをするのだ。そんな私を見ても、両親は何も言わない。私は灯油の備蓄や、寒冷対策といった両親の命に関わることだけは、気力を振り絞ってやるが、その後は気が抜けたようにゲームに逃げ込んでしまう。

 

  情けない、とまた涙が出てくる。両親のためにできることはたくさんあるはずのなのに、なぜ私はゲームなんてやってるのか、と自分を責めてしまう。でもそうやって紛らわさなければ耐えられないほど、両親の姿にまともに向き合い続けるのは、私の心身にとっては苦痛なのだ。

 

  有料老人ホームで働いていた頃は、そんなこと思ったこともなかった。もちろん、親しくなった入居者に親しみが湧いたり、状態が悪化していくことをつらく感じたりはした。しかし、肉親であるか否かでは、苦しさの種類がまるで違う。医療や介護は、他人を見ている方が楽だ。間違いない。

 

  在宅医療や介護は、常にこの苦しさを抱えながら続けねばならないのかと思うと、吐き気がしてくる。少なくとも、私の精神では弱っていく両親を見続けるという状況に耐えられそうにない。

 

  そして恐らく、両親を看取った後、こんな風に逡巡していた私を思い出し、「もっとたくさん両親にできることをやってあげればよかった」と後悔するに決まっている。それでも今の私は苦し過ぎて、今以上のことができない。最低限のことをやるだけで、精いっぱいだ。「親の老い」によってこんなに心が苦しくなるなんて、そのせいで体が動かなくなるなんて、知らなかった。在宅介護がこんなに介護者の心を揺さぶるなんて、お国の人たちはご存じだろうか。支える人を支える仕組みは、物理面だけでなく精神面でも絶対に必要だ。(ぱんだ)

 

介護家族の悲鳴 その8

「在宅介護」「地域包括ケア」では、医療従事者の話ばかりが出てくる。しかし、現実を見ると、実際の介護者は家族が7割(うち6割は同居)、医療介護従事者のみで本人を支えているのは1割程度に過ぎない(厚生労働省調べ)。しかし、そんな家族がどんな状況に置かれているかがすっかり見落とされているのが問題だ。 

 書いてきたように、筆者は関西に引っ越ししたばかりで地域に知り合いがいない中、共働きで3歳の息子を育てながら、かつ車で4時間以上かかる遠方にいる親の遠隔介護をしている。典型的な「ダブルケア」世帯だ。 

 そして筆者の場合、うつ病で休職している夫の世話が加わっている。夫は、パワラハラ上司によって1年以上苦しめられ、ある日突然会社に行けなくなってしまった。それ以来、ずっと休職して自宅で療養中だ。最初は身体介護が必要なほどうつ状態は重たかった。 

 ダブルケアに夫のうつ、ダブルどころかトリプルケア状態だ。特殊なケースではと思われるかもしれないが、様々なデータを見ていると、そうでもないような気がしてきた。 

うつ病は日本の5大疾病となり、すっかり国民病として定着している。国内にうつ病を含む気分障害の患者数は約112万人(厚労省平成26年「患者調査」)で、日本の人口の9%を占めている上、うつ病患者の割合は年々増えている。自分の周りちらほらいてもおかしくない数字だ。 

さらに、こちらも一般的な言葉となった「パワハラ」「セクハラ」などの、嫌がらせを表す「ハラスメント」。都道府県労働局などに寄せられるハラスメントの相談件数は2016年で約7万件と毎年増加で推移している(厚労省2016年度職場のパワーハラスメントに関する実態調査)。公的機関に届けられるのはよほど重大なケースか内部告発かで、氷山の一角だ。そう思えば、夫のように社内で内密に取り扱われて処理される、もしくはもみ消されるなど表面化していないハラスメント事例がそこら中にあることは想像に難くない。 

その一方で、内閣府は母親の子育ての孤立化を解消しようと「イクメン」を推進し、ポスターを作るなどして男性向けに啓発を進めている。「イクメン」ポスターでは、日本の夫の家事・育児時間がスウェーデンの201分、ノルウェーの192分などと比較して67分と短いことが示されている。ポスターでは「男性の暮らし方・意識が変われば日本も変わる」、「日本人男性も世界レベルの家事メンに」として、2020年までに150分まで、つまり男性個人の努力によって現状より1時間23分伸ばすことが目標とされている。 

しかし、そんなことは可能なのか。OECDの調査では、2016年の日本人1人当たりの年間労働時間は1713時間、ノルウェーは1424時間、スウェーデンは1621時間。そもそも日本の労働時間はこれらの国と比較して長い。男性の一日あたりの「自由時間」(総務省2011年社会生活基本調査)を見るとノルウェースウェーデンに比べて1時間以上短かった。そもそも日本は労働時間が長く、家事や育児に使える時間が少ない国なのだ。 

特に昨今では、ブラック企業問題や過重労働による自殺などが取り沙汰され、政府が働き方改革に乗り出すほど日本の長時間労働は社会問題化している。そんな中で、男性に育児家事をもっとやれという「イクメン」ブームは、ただの体育会系精神論のゴリ押しではないか。 

夫は休職する前、朝早く出掛け、終電による帰宅や会社近くのホテルでの宿泊、土日出勤も当たり前だった。さらに上司からの1年以上にわたるパワハラ。それでも、休日は息子の面倒を見ようと頑張ってくれていた。そんな夫が慢性的なストレスと苦痛から逃れようと、日曜の朝からビールを飲み、酔っぱらって寝ているのを、私は見てみぬふりしかできなかった。うつ病を起こして当然の状態だったろう。そして夫のような話は、決してめずらしくないのではないか。 

そして私は夫と息子の世話に追われながら、親の様子を見に実家への帰省もした。おまけに当時の私は、以前働いていた会社の経営不振により事業所都合解雇となったばかりで、経済的な不安を抱えていた。誰よりも、自分が壊れそうだった。当時2歳の幼い息子に、何度も怒鳴って当たり散らしたりもした。その頃の私は、気付けばいつも泣いていた。このような状態の家族が、要介護者を支えるなど、在宅介護など、できると思うだろうか?(ぱんだ)

介護家族の悲鳴 その7

「年末年始はゆっくりできましたか」などと書かれた年賀状を見る度に、「できるわけがありません」と呟いてしまう。 

子どもが生まれてから、私の年末年始(お盆も含む)は疲労困憊の時期に変わってしまった。20代の頃、箱根駅伝を見ている父親の横で、母親に焼いてもらった餅を食べ、炬燵で寝てばかりいたあの頃の私に囁いてやりたい。「こんなにのんびりできるのは今だけだぞ」と。 

私は正月休みが始まる前から怖かった。年老いた両親を見るのはつらい。隔週という短期間であるにも関わらず、両親の老いの進行をむざむざと突きつけられるからだ。特にこの時期、私の実家には雪が降る。おまけにだだっ広い実家は築30年以上経ち、常にどこかから隙間風が吹いて家を冷やしている。パーキンソン病を患う父親にとって冷えは深刻で、症状を悪化させ、痛みを増やす。弱っている両親を見ることになると分かっていたから怖かったのだ。それでも帰るしかない。やることは山積みだ。 

12月30日、車の中で暴れ回る元気いっぱいの3歳の息子の相手をしながら、交通渋滞の中、4時間かけて私の実家に帰る。そして先述(→こちら)したように、ヘルパーにはできない片づけをする。今回は、介護保険の認定通知と、父の運転免許の更新通知が、新聞広告の間に埋もれていた。認知症の母がまとめて縛ってしまっていたら大変なことになるところだった。 

この年末年始、私達夫婦にとって最大の仕事は、大掃除でも正月の用意でもない。灯油を買い、運んで備蓄しておくことだ。雪の降る時期、灯油は命綱だ。実家はエアコンだけではとても温まらないので、石油ファンヒーター、石油ストーブを何台も使っている。しかし、石油ファンヒーターも一日中付けていれば、すぐにタンクは空になる。パーキンソン病で手や腕を自由に使えない父に代わって、母が家の外に備蓄している灯油をタンクに入れ、再びヒーターをつけるということを繰り返している。その備蓄用灯油をガソリンスタンドで買い、備蓄用タンクに入れて車で運び、家の傍まで持っていくことが私たち夫婦の大仕事だ(灯油は重たいので主に夫が活躍してくれるのだが)。 

こういうことは介護保険サービスには入っていないので、寒さが厳しい地方ではどの家も大変ははずだ。もちろん業者に頼めば運んでくれるが、それなりのお金がかかる。

私達夫婦は雪の降る中、3時間ほどかけてガソリンスタンドと家を往復し、灯油を家に運んだ。それぐらいの時間なら、息子を実家に残しても両親が疲れ果てることはないだろうと考えた上で。 

そして元日、早々に実家を後にし、また4時間かけて一度自宅に帰る。その翌日に夫の実家に行くからだ。夫の実家は、私の実家よりさらに遠方にあるため、車で6~8時間かかるのを覚悟して帰る。義母は亡くなったが、義父が一人暮らしをしているため、私の実家同様に義父の身の回りを整える必要がある。義兄がしっかりと義父を見てくれているため、私の実家ほど大変ではないが、疲れないと言えば嘘になる。 

こうして夫婦互いの実家を行き来しながら、マイペースに「もっと遊んで」と求めてきたり、夜中まで寝ない息子の相手や世話をしたりするのは本当に大変なのだ。子どもがいると、自分のペースで段取りを組めなくなるため、実家で何かしようとしても中断させられ、うまくいかないことが多い。そこで私がイライラしてしまうと、息子にそれが伝わってさらに物事が進まないという負のスパイラルにはまるため、タスクを多く設定し過ぎないようにしている。 

正月休みが終わると、疲労困憊だ。普段よりずっと疲れている。

そして、仕事が始まる。それより前に、ケアマネに介護保険の認定通知が来ていたことを知らせなければいけない。 

私のように育児と介護が重なった状況に置かれている人は「ダブルケア」と呼ばれている。横浜国立大学大学院相馬直子准教授が提唱した言葉だ。主には高齢出産などが背景にある。2016年には30歳を過ぎてから第一子を産む母親が半分以上になった(厚労省平成28年度調べ)。子どもが幼く手のかかる時期に、親の介護も重なる世帯が増えているということだ。

相馬准教授が全国の大学生以下の子どもを持つ父親・母親2100人を対象に行った調査(2016年)では、「ダブルケアを経験した人」は6.5%、「ダブルケアが自分事の問題である人」は13.5%だった。ダブルケアで負担に感じることとしては、「精神的にしんどい」が最多で59.4%、「体力的にしんどい」55.8%、「子どもの世話を十分にできない」51.4%、「親・義理の親の世話を十分にできない」47.8%、「経済的負担」47.1%が続いた。

さらに、介護や育児を理由に仕事を辞めたことがある人は13.3%もいた。これは大変な数字ではないか。働き方改革など、どこの話かと言いたくなる。そしてこの負担感、痛いほどよく分かる。 

この状態で、国の言う「地域包括ケア」「地域共生社会」「在宅介護」という言葉を聞くと、私は鼻で笑いたくなる。もう既に全力でできることはやっている。これ以上、「家族の力」を期待されても無理だ。(ぱんだ)

「入院すると介護度が悪化」は市民に通じるか?

「入院不要な46%の患者をどう減らせるか?-佐々木淳・医療法人社団悠翔会理事長」(→こちら)という記事を書いたが、これは重要である一方、実はとんでもなく難しい話だと思っている。 

佐々木氏の主張はよく理解できるし、在宅療養中の家族のいる知人友人の話を聞くと、実際に状態は悪化している。要介護高齢者にとって入院が良くない(もちろん必要な治療はなされるが)ということは、少しでも医療や介護に興味のある人にとっては「なるほど」だろう。 

ただ、一般市民に話を聞くと「いざとなれば入院がある」「入院すればなんとかなる」と、入院を“護符”か何かのように思っているフシがある。高齢になればなるほどそういう意見を聞く。まるで、救急車という“かぼちゃの馬車”で病院という“何でも治せる設備の整ったお城”に運ばれ、そこで医療者が魔法の杖を一振りすれば、たちどころに治ってしまうかのような幻想を抱いている高齢者は意外に多い。しかし、医療者も人間だ。「救命」という大命題は通底していても、人によって専門も経験年数も考え方も違う。突然運ばれてきた、複数の病気や合併症を抱えた高齢の患者を、完全に治療してしまうことなどそもそも無理だ(もちろんその際に必要な医療は行われるが)。ここに、医療者側と一般市民側の感覚の大きなギャップがあると筆者は思っている。 

 佐々木氏はシンポジウム冒頭でちらっと「在宅患者に年金目当ての息子がいたり、精神疾患のある患者の子どもが学校に行っていなかったり」と話し、もはや在宅医療介護の領域を超えた問題があちこちで起きていることを示唆したが、こういった話もそのギャップと大いに関係があると筆者は思っている。 

この医療者側と市民側のギャップを生んだ大きな要因は二つあると思っている。 

医療者が「俺たちに任せとけ!」と言い過ぎたこと 

戦後、日本の医療は飛躍的に進歩した。そして医療行為が医療機関というハコモノの中、「生活」から切り離された場所で行われる特別なものになった。特に大規模な病院になるほど、中で何が行われているか患者にはうかがい知ることができなくなった。これに医療の高度化と技術進歩、専門分化が加わり、患者側と医療者側の情報の格差を生んだ。一般市民から見えづらい部分には利権が生まれやすくなる。高齢者医療費無料という、入院が「利権」になった時代もある。利権と情報格差が絡んだことで、医者は患者家族に対し「俺たちに任せとけばいい」という態度をとりやすくなった。結果、医師は常に患者より立場が上であるという雰囲気が蔓延した。医学生は「患者を救うことが何よりも尊い」と“洗脳”され、そのパターナリズムに疑問を持たないように育てられてきた。(今は部分的に溶けつつあると感じている)。その結果、「先生ならどうしますか?」「先生にお任せします」という他力本願な、酷い場合は過度な医療依存により医療を“魔法”と思い込んだ患者家族ができ上がった。もしくは、不透明な医療に対して不信を持ち、インターネット上の医療情報を印刷して診察室に持ち込み、主治医に対して「その医療は間違っている」というモンペになるかだ。

 荒い書き方をしたが、これは「医療モデル」の時代の負の遺産だ。

国が医療の値段・方針を決めていること 

医療の値段と方針を決めているのが国であるため、一般市民にとって医療界で起こる問題は他人事になっている(不幸にも医療関連事故に巻き込まれることなどがあれば自分ごとになるが)。国の医療政策は医療機関に対する診療報酬と助成金制度というアメとムチで誘導されるため、国民には直接知らされない。知らされたとしても、「ジェネリックを使いましょう」というチラシぐらいか。「地域包括ケア」や「地域共生社会」という言葉など、一般市民はほぼ知らない。つまり、一般市民はニンジンを目の前にぶら下げられた、どこに行くか分からない馬に乗っているようなものだ。国がニンジンを川に向ければ一般市民は川に行くしかないし、山に向ければ山に行くしかない。しかし国は、馬に乗った一般市民に向けて「ニンジンを川に向けます」とは決して言わない。あくまで、馬を誘導するだけだ。その方が簡単だから。しかも①で書いたように、その馬は現在まで、元気に「俺に乗ってたら安心だから着いて来い!」と言っていた。いまさら「馬の行き先(地域包括ケア、地域共生社会)を自分たちで考えろ」「馬が疲労困憊だから(医療のヒトモノカネ不足)理解しろ」なんて言われても、「知るかよ。今まで勝手にそっちでやってたことだろ」という感覚になるのは当たり前ではないか。一般市民は、自分で決められない医療制度になんか興味を持たない。そんな国民にしたのは、国と医者だ(国民性の問題もあると思っているが)。 

こういう医療者と一般市民の感覚のギャップがある上で、「入院を減らす」ことを実践していくのは非常にハードルが高いと筆者は考えている。佐々木氏が言うように、「在宅医一人がどんなに頑張ってもこの入院は減らせない」、「医療面以外の部分をどう充実させていくか、というのが大きな課題」というのは真実だと思う。そうすると、一般市民側の理解と協力が不可欠だ。まず、入院によってなぜ「入院関連機能障害」が起きるかということ、また制度面の不備を理解しなければいけないが、医療を“魔法”と思い込まされている一般市民には理解不能だろうし、理解したくもないだろう。「お上にお任せ」と思考停止している方が楽だからだ。そして国は、今後もニンジンを引っ張ることしかしない(引っ張っていたい、引っ張り続けたい)だろう。厚労省の藤岡雅美氏の話(→こちら)も納得はするものの、具体的な話もないまま結局自治体と一般市民に丸投げにしている役人の無責任さを感じざるを得ない。 

 一方で、介護力不足は、長時間労働や共働きが当たり前となり、核家族が増えた現代社会では起こって当然のことであり、今後ますます深刻になるはずだ。高齢出産の増加と共に、介護と育児を抱えながら働く「ダブルケア」家族が増えた。介護力不足というが、そのために、介護離職する人は年間10万人もおり、日本の労働力不足に拍車をかけ、国の経済力を損なっている。ある精神科医はうつになる最も大きい理由の一つが「経済問題」と話したが、離職すれば明らかに収入は減る。国内にうつなどの患者は112万人おり、年々増加している。

 こういう状態で、一般市民のほとんどが知らない言葉、「地域共生社会」をどうつくるのか、どうしていったらいいのか。分かっている人など、恐らく日本中にいないのではないか。それぞれの立場の人たちが、模索していくしかないことだろう。一人の記者である筆者としては、現場で起こっている問題や好事例を追い、伝えるしかないと思っている。(ぱんだ)

「白衣を着た薬剤師より、栄養士の方が親しみやすい」~食・薬連携という面白さ

11/15発行号の「薬局発NPOの『測定会』に企業が殺到」を書いたのは筆者だが、この認定NPO法人「健康ラボステーション」について書き切れなかった、どうしても強調したい部分をこちらに書く。このNPOに必須の管理栄養士の活躍、薬剤師との「食・薬」連携だ。

 

NPOでの管理栄養士の活躍は本誌をご覧頂きたいが、筆者も正直「管理栄養士がこれほど市民に影響力があるのか」と驚いた。計測会では管理栄養士による相談コーナーは常に満席、パイプ椅子が別途要る時もあった。30分以上話し込む熱心な参加者もいた。計測時にムスっとしていた男性が、相談後に「また来るわ!」と晴れやかな笑顔で帰っていった。リピーターの中には、管理栄養士を指名する人も。街中のイベントでスタッフが「健康チェックをやっていますよ。管理栄養士がアドバイスします」と声をかけると、「栄養士さんが教えてくれるなら」と言って立ち寄る女性もいた。一日3度の食事が、どれほど身近で誰もが興味を持つ話かということを、取材中に何度も痛感した。

 

本誌に出てきた薬剤師の男性が「白衣を着た薬剤師より、気軽に食事の相談に乗ってくれる栄養士の方が、身近なんだと思います」と素直に語ってくれたのが印象的だった。元気であれば、薬局に行く必要はない。しかし、生きていれば、誰もが食事をする。その食事内容にアドバイスしてくれる管理栄養士は、未病の一般市民からすれば、薬剤師よりよっぽど身近というのは、言われてみれば当たり前だ。そう考えたら、なぜ地域包括ケアに管理栄養士がもっと出てこないのか、不思議でならない。地域包括ケアに本気で取り組むなら、予防の観点から一般市民を巻き込む必要がある。そのために、管理栄養士、栄養士の存在は欠かせないのではないか? 誌面に出てきた調剤薬局がイベントで「おくすり相談会」をやっても人は来ないが、食事相談は一般市民から人気だそうだ。また、管理栄養士が患者の一週間分の食事をチェックしたりと、薬剤師と連携して患者の食事相談に乗ることもあるという。

 

健康ラボステーションの管理栄養士の山内利香さんは「母親向けに子どもの食育セミナー、料理教室などもやっていきたい」と、未来を担う世代に予防の観点で関わっていきたいと話す。彼女は国立大学医学部で唯一栄養学科を持つ徳島大を卒業し、病院で働いていたというユニークな経歴を持つ。山内さんの話では、徳島大の栄養学科は医学部にあることも影響してか、アカデミア色が濃かったそうだ。彼女から「分子栄養学」「代謝栄養学」などの話を聞いていると、薬学部と似た雰囲気がなくもない、と思ったりしたのは筆者が薬学に詳しくないからだろうか(筆者は社会保障専門)。薬学も栄養学も素人の筆者だが、批判を恐れず市民目線で言わせてもらうと、「医食同源」と聞くように、薬も食事も体に摂取されて影響を及ぼすという大きな意味では、共通している部分もあるはずだ。ぜひ管理栄養士にもっと活躍してもらい、市民に予防の視点を持ってもらえるよう働きかけてもらいたいと、今回の取材で強く思った。食・薬連携は、地域包括ケアでは必須のはずだ。(ぱんだ)

 

介護家族の悲鳴  その6

地域包括ケアに「介護者」という視点なし

介護する家族側がそのような状況であるにも関わらず、、「地域包括ケア」について語られるとき、介護者側の話は全く上がらない。医療者の視点で語られてばかりだ。地域包括ケアとは、地域一律の医療制度ではもうこの高齢社会をどうにもできなくなった厚労省が、「はーい、もうお手上げでーす、後は『地域の実情に応じて』『地域資源を活用し』頑張ってくださいねー」と自治体と医療介護提供側に丸投げしたものだと筆者は理解しているが、それには最も重要な「介護者がどういう状況であり、介護者をどう支えるか」という視点がすっぽりと、ものの見事に抜け落ちている。

 現実を見てほしい。介護者は家族が7割(うち6割は同居)。事業者は1割程度に過ぎない(厚労省平成28年国民生活基礎調査の概況)。地域包括ケアを医療者目線だけで語っても意味がない。なぜなら、実際に本人を24時間365日近くで見て、支えているのは家族だからだ(施設介護以外では)。

 在宅医療関連のシンポジウムに行けば、在宅医や訪問看護師が終末期の看取りの場面をスライドなどにあげ、会場から感銘を受けた医療関係者のすすり泣きが聞こえたりする。それを聞き、「気持ち悪いんだよ、クソ食らえ。お前ら一週間に数回しか来ないじゃないか、盆暮れ正月GWは『家族さんでお願いします』ってみてもくれないくせに。医者はFacebookに高そうな料理や旅行の写真ばっかり上げやがってよ。そのくせ、こうやって発表する場面では美味しいとこばっかり持っていきやがる」と罵るのは、ある医療関連市民団体の代表を務めながら自分と配偶者の親を介護している友人だ。彼は医師や看護師など医療職の知り合いが多く、普段はニコニコと笑顔で「先生のご活躍は素晴らしいですね!」などと在宅医に賞賛を送ったりしている。しかし、平日の昼間(が彼の一番自由になる時間、職場にいるから)に突然私に電話をかけてきて「俺は医療者なんて大嫌いだ! アイツら、綺麗ごとばっかりだ! 一番大変ところは何も知らない!」とぶちまけてきたりする。彼は、親の介護に疲れ果て、胃炎を起こして駅で倒れたり、ストレスで何度もうつになり、会社を休んだりもした。それでも今も、毎日ずっと親を在宅で介護をしながら働き(彼は自身で父親も看取った)、合間にそういった市民活動もしている。在宅介護の現実を知り、医療関係者の実情にも詳しい彼だからこそ、そういう言葉が出てくるのだ。

 地域包括ケアについて考えたり、何か実践できないかと医療提供者側が考えるのは素晴らしいことだと思う。ぜひ、頑張ってもらいたい。だけど、忘れないでほしい。本人を支える家族が倒れたら、地域包括ケアなど成り立ちはしない。いくら「多職種連携」や、「地域資源の活用」が行われようと、家族が倒れたら本人も倒れる。そしてその家族が、置かれている現状は、決して生易しい状況ではない。本コラムの連載の半分を使って長々と私の「多重ケア」の大変さを綴ったのは、そんな家族の一例として、少しでも大変さを感じてもらいたいと思ったからだ。今は夫が少しずつ回復に向かってくれているからなんとかなっているが、そうでなければ私はどこかの段階で倒れていたに違いない。そしてそんな家族は、今決してめずらしくはない。

 私は引き続き、今の地域包括ケアが見落としている、介護する家族側の実態に迫っていきたい。(ぱんだ)

本庶佑氏、ノーベル生理学・医学賞受賞記者会見全文

10月18日に神戸市内で行われた本庶氏のノーベル生理学・医学賞受賞記者会見。今が旬の本庶氏が何を言ったか知りたいという人もいるのではないかと思い、せっかくなので会見内容の全文を起こした(神戸医療産業都市推進機構理事長としての立場での発言がほとんどだったので面白みに欠けるかもしれないが)。それにしても、この会見内容で神戸新聞は『本庶さん、研究の発信力「ツイッター出すとかではない」』という見出しで記事にしていたが、もっと他になかったのかと思った。(パンダ)

 以下は、全文会見内容。

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 本庶佑 公益財団法人神戸医療産業都市推進機構理事長あいさつ

御紹介に預かりました、神戸医療産業都市推進機構理事長の本庶でございます。ちょうど都市の構想が始まって20周年ということでこのような国際創薬シンポジウムが開催できたことを嬉しく思っています。またこの節目に、ちょうど私のノーベル賞受賞が発表されまして、このような会見の場を設けて頂きまして、大変ありがとうございます。

 私は生まれつき運がいい男です。私は富山市に住んでいたのですが、記憶に残っているのは、3歳を過ぎた頃、富山大空襲でほとんどの家が焼け落ちました。私の家も焼けたのですが、私は母親の背中におぶさって、防空壕にいた時に焼夷弾が命中したのですが、防空壕の底に水が溜まって不発であったと。そしてその時無事に生き永らえたと。もしあれが爆発していたら、私はこの世にいなかったと思います。そういうことから始まりまして、PD-1の発見も幸運の連続でした。今回、この20周年の節目に合わせるかのようにノーベル財団からお知らせを頂き、私も大変嬉しく思っています。神戸に来て2年少しですが、様々な節目に理事長として皆様とお会いできることが、本当に幸せ以外の何物でもございません。これまでも大変多くの方から暖かいお言葉を頂き、喜んでいます。

 今後、私は理事長として全体の指揮を執っていくと同時に自分の研究プロジェクトも展開していきます。明治ファーマとの協働で自己免疫疾患治療薬の開発、シスメックスと京大との三者抗がん剤の効果判定として、早く利く人と効かない人を見極める検査薬の開発の共同研究も行っています。ようやく20年経ち、いくつかの新しい再生医療が世に出てきています。井村先生(井村裕夫同機構名誉理事長)が20年かけて築かれた功績が収穫期に入るのだと思っています。推進機構として先端医療研究センターで鍋島先生(鍋島陽一同機構先端医療研究センター長、京大名誉教授)の老化研究、健康長寿を目指した基礎研究を行っています。かなり独立採算で行えていることも多く、医療イノベーション推進センターは福島雅典センター長を筆頭に、日本ナンバーワンの治験の実績があります。細胞療法研究開発センターでは細胞の医薬品化という極めて困難な事業化を行い、日本ではもちろん世界有数の拠点としても注目されています。医療のシーズから出口まで、私自身も22年かかりました。例えば自動車産業、神戸で言うなら神戸製鋼のような従来の重厚長大(産業)などとは全く違うインダストリーであり、なかなかこの長い道のりを理解してもらえないのですが、この神戸の地で事業化を次々と進めていけたらいいなと思っています。

 

記者質問

NHK ノーベル賞受科学者となられ、推進機構理事長として仕事をされていくが、改めて医療産業都市をどう引っ張っていきたいか?

 本庶 これまでやってきたことが、ノーベル賞を受けたからと言って急に変わるわけではありません。従来のアカデミアのシーズと産業界をつなげていく。あるいは産業界同志を繋げて新しいものを生み出していく。いずれも医療に関わることで、既にそういう種が今日のシンポジウムでも紹介され、出てきているので、当面今年の方針で示していることに路線変更は必要ないと思っており、地道にやっていきたいと思っています。

 

神戸新聞 神戸医療産業都市をさらに飛躍させるための課題は? それに対して理事長としてどう取り組む?

 本庶 産業都市として企業数は350社、9000人以上が集積している。弱い点としては、アカデミアがわりかし少ない。関西の研究機関は、神戸大、阪大、京大とあるが、3つの大学が距離的に離れているのが弱点ではないかと思っている。そこをどうカバーするかが長期的な課題。もうひとつ、トランスレーショナルリサーチをやる病院の仕組みがなかなか難しい。大学病院等々では比較的やりやすいが、この辺りにある病院の中で通常の医療業務をこなしながら先端的な医療開発を行っていく、そういう仕組みができていけば一段の飛躍が考えられると思っている。

 

日経新聞 理研との包括協定を結んだ。見えてきた期待や課題などは?

 本庶 理研とは近いところにあるが、意外とこれまで連携が少ないところがあったのではないかと思っている。私はもっと連携強化が望ましいと考えている。風通しがあまりよくなかった事情もあると思うので、今後一層の緊密な関係を築きたいと思っている。

 

読売TV 医療産業都市の発信力についてノーベル賞を受賞したことがどのように生きていくと考えるか? 海外にどのように評価されているか? 海外への発信にどのように取り組むか?

 本庶 発信力というのは、我々の言う発信力とマスコミの発信力では意味が違います。結局は、実績を上げることが自然と発信力になるわけです。ツイッターに出すとかそういうレベルの発信力ではない。やはり実績をやればおのずと注目も集まり、機構の動向に世界が注目してくれるようになるのが、本当の発信力だと思っています。

 

読売新聞 本庶先生自身の研究で、京大や機構での展望を。

 本庶 私は神戸では、必ず企業とのタイアップという形でやっている。ベーシックなことから始めることより展望があると感じていることを企業とやる、というスタイルでやっている。京大の場合は、大学だからベーシックで根源的なものをやっている、そういうスタイル。

 

産経新聞 関西全体として研究や応用を進める地の利はある? 関西全体がグローバルに注目されるには?

 本庶 一般論とすると、昔から言われるように“東京帝国、関西共和国”。それぞれが独自に努力して切磋琢磨するのが関西の一つのいい点。それがネガティブに働くと過当競争になるので、そういうことのバランスをとりながら良いシーズを持っているアカデミアとの連携を深める。そういうスタイルとして機構のTRI(医療イノベーション推進センター)に全国からアカデミアのシーズを集めて、というか寄ってきて治験の仕組みを導入して、データを集めてアカデミアに返す。結果、アカデミアと企業が連携していくつかのプロダクトができるという路線が出来上がっているので、これを活用して関西の良いシーズがますます結びつくという方向で考えている。

 

神戸新聞 「実績を上げることが自然に発信になる」と言ったが、これまでの実績を具体的に。また今後はどうなっていくと思われるか。

 本庶 具体的には、声の出ない人に生体機能にチタンブリッジを使って発声を回復できる、これが承認を受けていて、TRI(医療イノベーション推進センター)主導でやっている。CD34血液細胞を集めて虚血性の血管の壊死や、悪性の骨折に使う、これが承認寸前まで来ている。そのほか、脊椎損傷に関してこのシーズは札幌医大だがこれも承認申請までいっている。そういう例がいくつかある。データはいくらでも提供します。

 (会見終了)