もちもちパンダ/

介護家族の悲鳴  その1

①始まった父の尿失禁

 

週末、3歳の息子を連れて二人で実家に帰った。要介護認定の更新について早く話しておかなければいけない。玄関から自宅に入ってすぐに居間に行き、父に声をかけようと近付いた。

 

父の1メートルほど手前まで近づいた時、あの独特のツンとしたアンモニア臭が私の鼻を突いた。その瞬間、私は自分が有料老人ホームで働いていた当時を思い出し、全身からざああっと血の気が引いた。

 

尿臭だ。私が有料老人ホームの相談員(兼ヘルパー)として働いていた頃、認知症の女性が入居していた。彼女は自分のおしっこを部屋中の家具や壁に塗り付けていたのだ。それもなぜかとても丁寧に。そのせいで、彼女の部屋にはいつも強い尿臭が立ち込めていて、私は部屋に入る前に息を止め、入ってから少しずつゆっくりと呼吸していたものだった。

 

その時のあの臭いが、父から発せられていた。

尿失禁が、始まったのだ。

 

恐らく私の表情は凍り付いていたと思うし、しばらくの間は動きが止まっていたと思う。そんな私が1メートル手前にいるにも関わらず、パーキンソン病のせいでどんどん反応が鈍くなりつつある父は、ソファに座ってテレビの囲碁番組をぼーっと眺めているだけで、私が来ていることにすら気付いていなかった。

 

私は自分の落ち着きを取り戻すために一度目を閉じ、ゆっくり深呼吸した。そして、耳の遠い父に向かって大きな声で「お父さん!」と声をかけた。

 

数秒後、ようやく顔をこちらに向けてゆっくりと父が「おう、着いたか」と答えた。

 

私は尿失禁のことには触れず、有料老人ホームにいた頃のように、ゆっくりと呼吸をしながら父の傍に座り、もうすぐ要介護認定の更新があること、そのために役所の担当者が来てあれこれ質問しにやってくることなどを伝えた。

 

「なんかよう分からんけど、任せるわ」

 

そう言って、父はまたテレビの方をむき、囲碁番組を見始めた。私は立ち上がり、居間から出て、認知症の母がどこにいるのかと家の中を探した。

 

私は隔週で実家に帰る、いわゆる「遠隔介護」をしている。父(82歳)はパーキンソン病、母(82歳)はアルツハイマー認知症と腎不全。普段は二人が老々介護をしてお互いに助け合いながら生活している。私が担当ケアマネジャーと密に連絡を取り、ヘルパー訪問やデイサービス、通所リハビリなど、介護保険サービスを使いながら、なんとか今の生活を保っている。どちらかの病気が重くなったら、施設入所など次の段階を考えなければいけない。

 

私と夫と息子の3人が住む自宅から私の実家までは、車で約4時間かかる。私は土曜日の朝6時に息子を連れて、車に乗って2人で家を出る。途中で休憩を挟み、着いた頃には昼前だが、やることが山ほどある。まず息子に昼食を食べさせ、両親の食事の用意も手伝う。そして息子に昼寝をさせる。両親も昼寝する。

 

ようやくここから、私の仕事が始まる。まずはたまっている郵便物の整理からだ。

 

それにしても、ついに、ついに尿失禁が始まってしまったのか・・・。私は想像以上にショックを受けていたようで、なかなか作業に移れず、何度も先ほどの尿臭と父の姿を思い出しては、ため息をついた。元気だった父が尿失禁するようになってしまうとは。とにかくショックで、悲しかった。

 

しかし、悲しんでばかりもいられない。限られた週末の時間内にやることはやらねば。介護保険サービス関連の領収書や年金の通知書、ダイレクトメールなどに挟まって、重要な役所からのお知らせや手続きの書類があったりするから気を付けなければいけない。役所も大事な書類は派手な封筒や目立つ文字にするとかなんとかしてくれないものか。茶色い封筒にシンプルに書かれている郵便物では、とても大事な書類には見えない。私ですらそうなのだから、高齢者にはなおさらのはずだ。父は重要な郵便物が届いていてもほぼ気付かないし、母はそもそも仕分けができない。そのほかにも回覧板を止めていてしまったり、隣保の集まりへの出欠表明を出していなかったりなど、細々としたことが色々ある。「紙類」の仕分けは結構面倒なのだ。

 

その後、部屋の片づけをする。認知症の母は買い物用ビニール袋の中に下着を全部詰めてしまっていたり、大事な書類を押し入れの中にしまい込んだりしていることがあるので、あるはずの洋服や書類、家財、道具類があるべきところになかったりすることがしょっちゅうだ。他にも洋服があちこちに散乱しているので、片付けたりする。

 

ああ、眠たい。運転は疲れるし、家の片づけは結構体力も使って疲れる。おまけに先ほどの尿失禁による精神的ショック。私はため息をついたり、あくびをしたりしながら、ソファの下に隠すようにしまい込まれていた母の下着を引っ張り出した。こちらもキツイ尿臭がする。母は尿漏れを父に知られると怒られると思い、隠したのだろう。私はその下着を洗濯機に放り込み、洗剤に加えて漂白剤も多めに流し入れる。

 

夕方になったら夕飯の買い出しをして、料理を作る。私は疲れ過ぎているので、椅子に座りながら料理をする。そして夕飯を食べながら、両親に今困っていることはないか、病状はどうかといった話をする。何かあれば、ケアマネジャーに連絡しなければいけない。

 

疲れた体を奮い立たせながら、息子に夕飯を食べさせ、風呂に入れ、歯を磨かせる。寝かしつける頃には22時を回る。両親は20時過ぎには寝てしまう。私は早朝から動きっぱなしで、また精神的なショックも受け、既に疲労困憊だ。しかし最も大変なのは、翌朝なのだ。(ぱんだ)