もちもちパンダ/

介護家族の悲鳴 その7

「年末年始はゆっくりできましたか」などと書かれた年賀状を見る度に、「できるわけがありません」と呟いてしまう。 

子どもが生まれてから、私の年末年始(お盆も含む)は疲労困憊の時期に変わってしまった。20代の頃、箱根駅伝を見ている父親の横で、母親に焼いてもらった餅を食べ、炬燵で寝てばかりいたあの頃の私に囁いてやりたい。「こんなにのんびりできるのは今だけだぞ」と。 

私は正月休みが始まる前から怖かった。年老いた両親を見るのはつらい。隔週という短期間であるにも関わらず、両親の老いの進行をむざむざと突きつけられるからだ。特にこの時期、私の実家には雪が降る。おまけにだだっ広い実家は築30年以上経ち、常にどこかから隙間風が吹いて家を冷やしている。パーキンソン病を患う父親にとって冷えは深刻で、症状を悪化させ、痛みを増やす。弱っている両親を見ることになると分かっていたから怖かったのだ。それでも帰るしかない。やることは山積みだ。 

12月30日、車の中で暴れ回る元気いっぱいの3歳の息子の相手をしながら、交通渋滞の中、4時間かけて私の実家に帰る。そして先述(→こちら)したように、ヘルパーにはできない片づけをする。今回は、介護保険の認定通知と、父の運転免許の更新通知が、新聞広告の間に埋もれていた。認知症の母がまとめて縛ってしまっていたら大変なことになるところだった。 

この年末年始、私達夫婦にとって最大の仕事は、大掃除でも正月の用意でもない。灯油を買い、運んで備蓄しておくことだ。雪の降る時期、灯油は命綱だ。実家はエアコンだけではとても温まらないので、石油ファンヒーター、石油ストーブを何台も使っている。しかし、石油ファンヒーターも一日中付けていれば、すぐにタンクは空になる。パーキンソン病で手や腕を自由に使えない父に代わって、母が家の外に備蓄している灯油をタンクに入れ、再びヒーターをつけるということを繰り返している。その備蓄用灯油をガソリンスタンドで買い、備蓄用タンクに入れて車で運び、家の傍まで持っていくことが私たち夫婦の大仕事だ(灯油は重たいので主に夫が活躍してくれるのだが)。 

こういうことは介護保険サービスには入っていないので、寒さが厳しい地方ではどの家も大変ははずだ。もちろん業者に頼めば運んでくれるが、それなりのお金がかかる。

私達夫婦は雪の降る中、3時間ほどかけてガソリンスタンドと家を往復し、灯油を家に運んだ。それぐらいの時間なら、息子を実家に残しても両親が疲れ果てることはないだろうと考えた上で。 

そして元日、早々に実家を後にし、また4時間かけて一度自宅に帰る。その翌日に夫の実家に行くからだ。夫の実家は、私の実家よりさらに遠方にあるため、車で6~8時間かかるのを覚悟して帰る。義母は亡くなったが、義父が一人暮らしをしているため、私の実家同様に義父の身の回りを整える必要がある。義兄がしっかりと義父を見てくれているため、私の実家ほど大変ではないが、疲れないと言えば嘘になる。 

こうして夫婦互いの実家を行き来しながら、マイペースに「もっと遊んで」と求めてきたり、夜中まで寝ない息子の相手や世話をしたりするのは本当に大変なのだ。子どもがいると、自分のペースで段取りを組めなくなるため、実家で何かしようとしても中断させられ、うまくいかないことが多い。そこで私がイライラしてしまうと、息子にそれが伝わってさらに物事が進まないという負のスパイラルにはまるため、タスクを多く設定し過ぎないようにしている。 

正月休みが終わると、疲労困憊だ。普段よりずっと疲れている。

そして、仕事が始まる。それより前に、ケアマネに介護保険の認定通知が来ていたことを知らせなければいけない。 

私のように育児と介護が重なった状況に置かれている人は「ダブルケア」と呼ばれている。横浜国立大学大学院相馬直子准教授が提唱した言葉だ。主には高齢出産などが背景にある。2016年には30歳を過ぎてから第一子を産む母親が半分以上になった(厚労省平成28年度調べ)。子どもが幼く手のかかる時期に、親の介護も重なる世帯が増えているということだ。

相馬准教授が全国の大学生以下の子どもを持つ父親・母親2100人を対象に行った調査(2016年)では、「ダブルケアを経験した人」は6.5%、「ダブルケアが自分事の問題である人」は13.5%だった。ダブルケアで負担に感じることとしては、「精神的にしんどい」が最多で59.4%、「体力的にしんどい」55.8%、「子どもの世話を十分にできない」51.4%、「親・義理の親の世話を十分にできない」47.8%、「経済的負担」47.1%が続いた。

さらに、介護や育児を理由に仕事を辞めたことがある人は13.3%もいた。これは大変な数字ではないか。働き方改革など、どこの話かと言いたくなる。そしてこの負担感、痛いほどよく分かる。 

この状態で、国の言う「地域包括ケア」「地域共生社会」「在宅介護」という言葉を聞くと、私は鼻で笑いたくなる。もう既に全力でできることはやっている。これ以上、「家族の力」を期待されても無理だ。(ぱんだ)