もちもちパンダ/

介護家族の悲鳴  その6

地域包括ケアに「介護者」という視点なし

介護する家族側がそのような状況であるにも関わらず、、「地域包括ケア」について語られるとき、介護者側の話は全く上がらない。医療者の視点で語られてばかりだ。地域包括ケアとは、地域一律の医療制度ではもうこの高齢社会をどうにもできなくなった厚労省が、「はーい、もうお手上げでーす、後は『地域の実情に応じて』『地域資源を活用し』頑張ってくださいねー」と自治体と医療介護提供側に丸投げしたものだと筆者は理解しているが、それには最も重要な「介護者がどういう状況であり、介護者をどう支えるか」という視点がすっぽりと、ものの見事に抜け落ちている。

 現実を見てほしい。介護者は家族が7割(うち6割は同居)。事業者は1割程度に過ぎない(厚労省平成28年国民生活基礎調査の概況)。地域包括ケアを医療者目線だけで語っても意味がない。なぜなら、実際に本人を24時間365日近くで見て、支えているのは家族だからだ(施設介護以外では)。

 在宅医療関連のシンポジウムに行けば、在宅医や訪問看護師が終末期の看取りの場面をスライドなどにあげ、会場から感銘を受けた医療関係者のすすり泣きが聞こえたりする。それを聞き、「気持ち悪いんだよ、クソ食らえ。お前ら一週間に数回しか来ないじゃないか、盆暮れ正月GWは『家族さんでお願いします』ってみてもくれないくせに。医者はFacebookに高そうな料理や旅行の写真ばっかり上げやがってよ。そのくせ、こうやって発表する場面では美味しいとこばっかり持っていきやがる」と罵るのは、ある医療関連市民団体の代表を務めながら自分と配偶者の親を介護している友人だ。彼は医師や看護師など医療職の知り合いが多く、普段はニコニコと笑顔で「先生のご活躍は素晴らしいですね!」などと在宅医に賞賛を送ったりしている。しかし、平日の昼間(が彼の一番自由になる時間、職場にいるから)に突然私に電話をかけてきて「俺は医療者なんて大嫌いだ! アイツら、綺麗ごとばっかりだ! 一番大変ところは何も知らない!」とぶちまけてきたりする。彼は、親の介護に疲れ果て、胃炎を起こして駅で倒れたり、ストレスで何度もうつになり、会社を休んだりもした。それでも今も、毎日ずっと親を在宅で介護をしながら働き(彼は自身で父親も看取った)、合間にそういった市民活動もしている。在宅介護の現実を知り、医療関係者の実情にも詳しい彼だからこそ、そういう言葉が出てくるのだ。

 地域包括ケアについて考えたり、何か実践できないかと医療提供者側が考えるのは素晴らしいことだと思う。ぜひ、頑張ってもらいたい。だけど、忘れないでほしい。本人を支える家族が倒れたら、地域包括ケアなど成り立ちはしない。いくら「多職種連携」や、「地域資源の活用」が行われようと、家族が倒れたら本人も倒れる。そしてその家族が、置かれている現状は、決して生易しい状況ではない。本コラムの連載の半分を使って長々と私の「多重ケア」の大変さを綴ったのは、そんな家族の一例として、少しでも大変さを感じてもらいたいと思ったからだ。今は夫が少しずつ回復に向かってくれているからなんとかなっているが、そうでなければ私はどこかの段階で倒れていたに違いない。そしてそんな家族は、今決してめずらしくはない。

 私は引き続き、今の地域包括ケアが見落としている、介護する家族側の実態に迫っていきたい。(ぱんだ)